歳のせいか、毎日朝5時過ぎに目が覚めます。
平日はすぐに着替え、顔を洗って手酌で水を三口飲むと、隣の駐車場に降りて屈伸とストレッチングで体を整え、
自宅近くの三社一寺をスロージョギングで巡ります。
そこでの三社は、海老江八坂神社、野田恵美寿神社、天神社(下の天神)、一寺は福島聖天了徳院です。
それぞれご祭神・ご本尊の由来やご利益が違っているものの、毎日の基本的なご祈願は店(紗Bon堂)の商売繁盛と、
ここ数年挑戦している不動産鑑定士試験の合格です。
歳のせいか、毎日朝5時過ぎに目が覚めます。平日はすぐに着替え、顔を洗って手酌で水を三口飲むと、隣の駐車場に降りて屈伸とストレッチングで体を整え、自宅近くの三社一寺をスロージョギングで巡ります。
そこでの三社は、海老江八坂神社、野田恵美寿神社、天神社(下の天神)、一寺は福島聖天了徳院です。それぞれご祭神・ご本尊の由来やご利益が違っているものの、毎日の基本的なご祈願は店(紗Bon堂)の商売繁盛と、ここ数年挑戦している不動産鑑定士試験の合格です。
JR環状線福島駅を出て、北の貨物線の踏切を渡って西に曲がると、「福島聖天通商店街」です。
商店街を進み、南北のあみだ池筋を越えた次の道路から、行政区域が福島から鷺洲に変わるのですが、商店街も別の「聖天通商店街」に変わります。この境界となる道は大正時代までは水路で、ここを北側に曲がると、地元で「浦江の聖天さん」と呼ばれて親しまれている福島聖天了徳院があります。
自宅からのコースでは、あみだ池筋から商店街に入って、
朝一番にお参りします。
「歓喜天」の額がかけられた鳥居を一礼して入りますが、了徳院は神社ではなく、れっきとした東寺真言宗の仏教寺院です。
本堂の十一面観世音菩薩が大聖歓喜天(ダイショウカンギテン)を略した「聖天さん」のご本尊ですが、本来の歓喜天は象頭人身の男女二体の立像が向き合って抱擁している秘仏で、男女睦まじく子宝に恵まれ、商売繁盛のご利益が得られるそうです。
「聖天さん」には、本堂の左手にもう一つのご本尊である准胝観音(ジュンデイカンノン)の准胝堂があります。准胝観音は、おこないが悪くて才能に恵まれない人でも、真言を唱えれば瞬時に悟りを得られる、すなわち、人の運命を変える仏さまといわれています。
准胝堂には「おんしやれい それい そんでい そわか」のご真言がかかげられていて、自分でも、毎日そのご真言を唱えて自分の運命を変えることを試みています。
JR環状線福島駅を出て、北の貨物線の踏切を渡って西に曲がると、「福島聖天通商店街」です。
商店街を進み、南北のあみだ池筋を越えた次の道路から、行政区域が福島から鷺洲に変わるのですが、商店街も別の「聖天通商店街」に変わります。この境界となる道は大正時代までは水路で、ここを北側に曲がると、地元で「浦江の聖天さん」と呼ばれて親しまれている福島聖天了徳院があります。
自宅からのコースでは、あみだ池筋から商店街に入って、朝一番にお参りします。
「歓喜天」の額がかけられた鳥居を一礼して入りますが、了徳院は神社ではなく、れっきとした東寺真言宗の仏教寺院です。本堂の十一面観世音菩薩が大聖歓喜天(ダイショウカンギテン)を略した「聖天さん」のご本尊ですが、本来の歓喜天は象頭人身の男女二体の立像が向き合って抱擁している秘仏で、男女睦まじく子宝に恵まれ、商売繁盛のご利益が得られるそうです。
「聖天さん」には、本堂の左手にもう一つのご本尊である准胝観音(ジュンデイカンノン)の准胝堂があります。准胝観音は、おこないが悪くて才能に恵まれない人でも、真言を唱えれば瞬時に悟りを得られる、すなわち、人の運命を変える仏さまといわれています。
准胝堂には「おんしやれい それい そんでい そわか」のご真言がかかげられていて、自分でも、毎日そのご真言を唱えて自分の運命を変えることを試みています。
福島聖天了徳院から商店街を抜けると、物流トラックも頻繁に走行する大阪市道九条梅田線に出ます。北区芝田の交差点を起点とするこの道路は、この辺りで難波橋北詰を起点とするかつての大和田街道に重なり、そのまま中央卸売市場まで左にループしながら突き進みますが、大和田街道は、その少し先を斜めに右折して、海老江八坂神社を経て尼崎の大物(だいもつ)に至り、大物からは西国街道に合流し山陽道として下関に至る西の主要街道でした。
海老江八坂神社の起源は古く、平安末頃の建立といわれます。
海老江は、戦災から免れた古い民家や土蔵が残る地域で、親しみのある路地空間が広がっています。海老江八坂神社の2月の節分祭、7月の夏大祭では、海老江の街が大いに盛り上がります。
全国の八坂神社は、元々は牛頭天王(ゴズテンノウ)に対する神仏習合の祇園信仰に基づく、祇園社あるいは牛頭天王社が、明治の神仏分離以降、素戔嗚尊(スサノオ)を祭神とする神社となったものです。
仏教寺院なのに鳥居のある福島聖天了徳院や、神仏習合の牛頭天王社をルーツにもつ八坂神社など、仏教的な神や、神仏習合、本地垂迹についての興味が広がります。
福島聖天了徳院から商店街を抜けると、物流トラックも頻繁に走行する大阪市道九条梅田線に出ます。北区芝田の交差点を起点とするこの道路は、この辺りで難波橋北詰を起点とするかつての大和田街道に重なり、そのまま中央卸売市場まで左にループしながら突き進みますが、大和田街道は、その少し先を斜めに右折して、海老江八坂神社を経て尼崎の大物(だいもつ)に至り、大物からは西国街道に合流し山陽道として下関に至る西の主要街道でした。
海老江八坂神社の起源は古く、平安末頃の建立といわれます。
海老江は、戦災から免れた古い民家や土蔵が残る地域で、親しみのある路地空間が広がっています。海老江八坂神社の2月の節分祭、7月の夏大祭では、海老江の街が大いに盛り上がります。
全国の八坂神社は、元々は牛頭天王(ゴズテンノウ)に対する神仏習合の祇園信仰に基づく、祇園社あるいは牛頭天王社が、明治の神仏分離以降、素戔嗚尊(スサノオ)を祭神とする神社となったものです。
仏教寺院なのに鳥居のある福島聖天了徳院や、神仏習合の牛頭天王社をルーツにもつ八坂神社など、仏教的な神や、神仏習合、本地垂迹についての興味が広がります。
海老江八坂神社を南にくだり、阪神本線野田駅の駅前広場から国道2号線を渡って野田新橋筋商店街を抜けると、JR環状線野田駅近くの高架に出ます。その少し先にある野田城跡の石碑を脇にみながら阪急オアシスを越えて左に曲がり、しばらく行くと野田恵美寿神社です。
野田恵美寿神社も平安末頃の建立といわれ、約900年にわたって地元を見守ってきたことになりますが、平安末期の野田の地は「難波八十島」 と呼ばれて点在していた島々が、 淀川の堆積土砂によって徐々に陸地化し、漁民たちの集落が開発されていった地域だといわれています。
「えびす」は七福神の一柱ですが、インドや中国由来の他の七福神と異なり、日本古来の福の神で、古くから漁業の神でもありました。約900年前、この地に住みついた漁民が、漁業の守り神である「えびす」をお祭りしたのが神社の起源となったわけです。
「えびす」の本地仏は毘沙門天や不動明王とされており、「えびす」を祀る全国の神社では、「えびす」に習合した神は、蛭子(ヒルコ)と事代主命(コトシロヌシノミコト)に分けられ、当社は事代主命を祭神としています。「えびす」の習合神を事代主命とする神社では今宮戎神社、蛭子とするのは西宮神社が有名です。
海老江八坂神社を南にくだり、阪神本線野田駅の駅前広場から国道2号線を渡って野田新橋筋商店街を抜けると、JR環状線野田駅近くの高架に出ます。その少し先にある野田城跡の石碑を脇にみながら阪急オアシスを越えて左に曲がり、しばらく行くと野田恵美寿神社です。
野田恵美寿神社も平安末頃の建立といわれ、約900年にわたって地元を見守ってきたことになりますが、平安末期の野田の地は「難波八十島」 と呼ばれて点在していた島々が、 淀川の堆積土砂によって徐々に陸地化し、漁民たちの集落が開発されていった地域だといわれています。
野田恵美寿神社から東に進み、阪神高速神戸線の高架道路の下、新なにわ筋をわたり、下福島中学校の南の路地に沿って中学校の東横が天神社(下の天神)です。
福島三天神の一社としても知られますが、三天神のうち中の天神は第二次世界大戦の空襲で消失したため、福島天満宮(上の天神)に合祀されています。
上の天神、下の天神のいずれもが、菅原道真が901年に太宰府へ左遷された際に、当地に立ち寄ったことを起源としています。また、この地が「餓鬼島」と呼ばれていることが不祥であると、そのときに「福島」と命名したとされ、地名の由来にも菅原道真との深い関わりが伝えられています。
天神信仰は、日本古来の雷神(天神)に対する信仰に、没後の菅原道真を天満大自在天神(テンマンダイジザイテンジン)として神格化し、祟り神として大自在天と神仏習合して結び付けられ、全国各地で広がりました。
学業や豊穣の神様として祀られるだけでなく、災いを招く神として畏怖もされ、多種多様な面で信仰されている天神信仰については、天満宮天神祭の「船渡御」と大川・堂島川やその周辺との関わりなども大変興味深いものがあります、今後少しづつ掘り下げて調べてみたいと思います。
野田恵美寿神社から東に進み、阪神高速神戸線の高架道路の下、新なにわ筋をわたり、下福島中学校の南の路地に沿って中学校の東横が天神社(下の天神)です。
福島三天神の一社としても知られますが、三天神のうち中の天神は第二次世界大戦の空襲で消失したため、福島天満宮(上の天神)に合祀されています。
上の天神、下の天神のいずれもが、菅原道真が901年に太宰府へ左遷された際に、当地に立ち寄ったことを起源としています。また、この地が「餓鬼島」と呼ばれていることが不祥であると、そのときに「福島」と命名したとされ、地名の由来にも菅原道真との深い関わりが伝えられています。
天神信仰は、日本古来の雷神(天神)に対する信仰に、没後の菅原道真を天満大自在天神(テンマンダイジザイテンジン)として神格化し、祟り神として大自在天と神仏習合して結び付けられ、全国各地で広がりました。
学業や豊穣の神様として祀られるだけでなく、災いを招く神として畏怖もされ、多種多様な面で信仰されている天神信仰については、天満宮天神祭の「船渡御」と大川・堂島川やその周辺との関わりなども大変興味深いものがあります、今後少しづつ掘り下げて調べてみたいと思います。
スロージョギングのあいだは、TAC不動産鑑定士講座の高橋先生が吹き込んだ不動産鑑定評価基準の音声を1.2倍速で聞いているのですが、なかなか記憶に定着しません。 最近、音声を聞きながらそれを真似して発音する、英語のシャドーイングという学習方法を知ったので、逆に鑑定評価基準をゆっくり再生してシャドーイングに挑戦してみようと思います。
最後は約50分のスロージョギングで汗ばんだ体を、下福島公園でクールダウンします。
「継続は力なり」といわれますが、 おかげさまで、長時間の立ち仕事や階段の上り下りは全く苦にならなくなりました。
つぎは、店の商売繁盛と不動産鑑定士試験の合格を、毎日のご祈願で叶えたいものです。
○福島聖天了徳院
https://fukushima-osaka.mypl.net/article/goshuin_fukushima-osaka/19767
○海老江八坂神社
https://fukushima-osaka.mypl.net/article/goshuin_fukushima-osaka/20082
○野田恵美寿神社
https://fukushima-osaka.mypl.net/article/goshuin_fukushima-osaka/19941
○天神社(下之天神)
https://fukushima-osaka.mypl.net/article/goshuin_fukushima-osaka/19669
スロージョギングのあいだは、TAC不動産鑑定士講座の高橋先生が吹き込んだ不動産鑑定評価基準の音声を1.2倍速で聞いているのですが、なかなか記憶に定着しません。 最近、音声を聞きながらそれを真似して発音する、英語のシャドーイングという学習方法を知ったので、逆に鑑定評価基準をゆっくり再生してシャドーイングに挑戦してみようと思います。
最後は約50分のスロージョギングで汗ばんだ体を、下福島公園でクールダウンします。
「継続は力なり」といわれますが、 おかげさまで、長時間の立ち仕事や階段の上り下りは全く苦にならなくなりました。
つぎは、店の商売繁盛と不動産鑑定士試験の合格を、毎日のご祈願で叶えたいものです。
○福島聖天了徳院
https://fukushima-osaka.mypl.net/article/goshuin_fukushima-osaka/19767
○海老江八坂神社
https://fukushima-osaka.mypl.net/article/goshuin_fukushima-osaka/20082
○野田恵美寿神社
https://fukushima-osaka.mypl.net/article/goshuin_fukushima-osaka/19941
○天神社(下之天神)
https://fukushima-osaka.mypl.net/article/goshuin_fukushima-osaka/19669